2008年9月29日から始まった透析、早くも透析歴5年に突入した。
腎臓がダメだって宣告されて、
でも、透析を覚悟しなくちゃいけないことを受けとめられずに、
藁をもすがる思いで、減塩してダイエットして、
でも、奮闘2年と9ヶ月の努力の甲斐もなく、とうとう透析導入となった。
絶望的だった・・・・。
人生終わった気がした。
週3回病院に通い、一回4時間の透析を受け続ける、死ぬまで。
透析の前後拘束時間を考えれば5時間は覚悟しなくちゃいけないだろう。
終わった。
僕の人生は終わった、と思った。
「今は医療技術が進歩して、透析も楽になったっていうし・・・。」
「大丈夫、透析してる人でも元気に働いてる人居るし!」
「そのうち、透析ももっと簡単になるだろうし・・・。」
「自分の時間がたっぷり持てるようになるって考えれば・・。」
いろんな人が声をかけてくれた。たくさんの励ましをもらった。が、
終わった。という思いにとらわれて、
どうしてもそこから抜け出すことができなかった。
それでも受け入れていかなきゃいけないし、
生きて行かなきゃいけないし、
しっかりしよう、しっかり考えなきゃダメだ、って言い聞かせて、
それなのに結局、正面から考えようとせず、
透析生活という現実から目をそむけて、
もっともっと目の前の現実だけを見て透析から逃避していた。
そのまま透析生活が始まっても、ちゃんと考えることには背を向けて、
漫然と日々を送り、透析も通い続け、とうとう4年が過ぎた。
が、4年も過ぎると、透析は日常化し、
透析のある暮らしも当たり前化してしまい、
ちゃんと人生を考えようという思いも風化してしまった。
怖いのは、
際限のない支えをもらっている家族、とりわけ女房への感謝や、
多大なる迷惑をかけている周囲への申し訳ない思いまでもが、
風化してしまってやいないか。ということ。
5年目に入って、今一度
初心に戻って、人生を見つめなおそうと思う。